COMMENTARY
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■蚊に刺されて思うこと

 今年の夏は何回か蚊をたたいたように思います(というか殺してしまったのですが)。昔、誰だったかある文章で読んだのですが、どこかの仏教国では蚊も殺さない、腕にとまってもふっと吹いて逃がしてやる、でもそうするととても気持ちが穏やかでここちよい、というような内容でした。

 子供の頃にそれを読んで、蚊に刺されるとかなり腫れ上がりいつまでも痒みがつづく私はそんなことが可能なのだろうかと思いましたが、その後菜食に転じた私はそれが可能であることがわかりました。
 経験のある方がわかると思うのですが、菜食で体質が変わると虫刺されというものがまったく平気になるのです。私は殺生をしないためなどという高尚な理由で菜食になったわけではなかったのですが、食べ物に関してだけでも生き物を殺す必要がなくなり、また蚊が敵でなくなり冒頭の話のように殺す必要もなくなったため結果そうでない頃には経験できなかった穏やかさを感じられるようになったのです。

 しかし基本的に菜食であっても最近の不摂生が原因なのでしょう、また体が蚊に弱くなってきました。痒さは蚊を再び害虫に変え、そして単に生命の営みのひとつであった羽音は敵からの威嚇のような音に変わり、ああいやだ、と思うとわかっていながら自分を刺そうとした何匹かの蚊を殺さざるを得ませんでした。
 べつにこんなことは多くの人が普通だろうと思います。けれど殺さなくてもいいということを知ってしまった私にはこのことはいやな思いとして残ります。

 私は菜食であるべきだとか殺生に対して考えるべきだという話をここでしたいのではないのです。また私自身も意識せずとも知らないうちに多くの生き物の命の奪わずにはいられない現代生活の中にいます。そしてここでの結びとしたい言葉としても多くの要因を短絡的に結論付ける気もまったくありません。
 けれどたかが蚊の一匹二匹といういうなかれ。世界は相似の象、私たちの心身精魂がもっと浄化されていれば命の無用な奪い合いはおこらないはずだと思うのですが。
(2005年11月)







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