COMMENTARY
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■清純派?

 多くの方々に私の作品を喜んでいただきいつも感謝しています。ところでみなさんはTETSUOとその作品のことをどんなイメージでご覧になっているのでしょうか?以前「TETSUO」という名前が出ていなかったときは作者が女性だと思っていた方もいたようで実際を知って意外に思った方もいたようですが、私自身は最近「かわいい天使とかわいくない作者のギャップが売りなんですよ」と冗談を言ったりしますが、やはり絵も作者も、作品から受ける特有のイメージはあるのでしょう。

 至高の存在である天使、高度なスピリチュアリティを持つ高等生物であるイルカ、そして白い光の画風など、近年こうした作風の作品を多く出しているためか、ごくたまに私のことをすごく「きれいなイメージ」で見る方がいますが、これは困ります(笑)。
 また今年の4月のアースデイの時期に今年はアースデイのロゴマーク(※)の作成をしましたが、その関連企画のデザイナーの方が私の作成したマークを見て「私はこういった清いイメージだけでなくもっと(地球のさまざまな問題を提起するような)違った要素を含めたものを作りたい」と言っていた、と関係の方から聞きました。この「清い」あるいはそれにより意識する「清くないもの」は作品や作者よりも鑑賞者に負うものだと私は思っていますが、イメージは鑑賞者によってさまざまなのだなあと思います。

 数多くの名作を生んだ漫画家の手塚治虫さんが「手塚ヒューマニズムなどと言われるのは嫌だった」と言っていたのを以前になにかで読んだことがあります。またアニメ映画監督の宮崎駿さんも同じようなことを言っていたのを記憶しています。おそらく作者がこれら「そんなんじゃない」と言っている「善」はメディア特有の表現や鑑賞者の感想を要約した結果そうなってしまったものなのでしょう。
 しかしこうした方々の名作は善悪ともに包括しているからこそ、それらを超える、先の言葉で言えばヒューマニズムともいえる小さくとも悟りと呼べるような感動を鑑賞者にもたらすのだと思いますが、それが言葉にすると単純に「善」という、作者の思いとは違う表現になってしまうのかもしれません。

 こういったビッグネームの方の話を持ち出すのは大変おこがましいのですが、私のアースデイのマークになった作品、マークというよりは絵的ですが、「本当の地球の姿を知っている人間の意識が宇宙から地球を俯瞰している」というこの絵も、その「本当の地球の姿」というものに美しい自然の姿を見出しても、あるいは醜い争いや戦争をする人間の姿を見出しても、どちらでもいいですし、そういうことよりもそれらを包括しているがゆえにもっと無色透明なものなのだ、あるいはそれらを知っているからこそ無色透明になっていけるものなのだ、というようなことを伝えたいという思いもありました。天使も美や清らかなものの象徴ではなく私たちがどんなに真面目であろうとどんなに人の道にはずれようともいつもそれらを見つめながらいつもそこにいるのです。
 また私の作品展やホームページなどの感想もいただきますが、これら私の天使の作品を見て、自分はなんて薄汚れてしまったのだろう、と思う方がいても、自分の中に忘れていた子供のような純粋さを思い出した、という方がいてもどちらもそういった作品によって自らの姿を見つめられる心の視点は素敵なことだと思っています。

 私は音楽も絵画もひとの本質や内面を照らすことだと思っています。それは「良いものなのだ」とばかりにそのまま受け渡すとかどこかから光明をもたらすというよりも、さまざまな要素を持つからこそ単純に光をあて明るみに出すこと、感動だけでなく時にそれが見たくないものであったとしても、いずれそれは無色透明な、自分自身が自分の持っている光明へと導かれていく、そういうものだと思っています。
 私も作品を通して、見た方にさまざまなきっかけを伝えることができれば嬉しいなと思っています。
(2005年5月)




※アースデイ長野ロゴマークはニュースのページに記事があります。
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