■小さな生態系の話

  実生のツバキの芽


 展示会などが多かった昨年と比べると、このところ生の作品・作者本人ともみなさまにはたいへんご無沙汰(?)しております。その一方でこの夏は自分の作業に時間を割き、またいろいろなところにでかけたりして英気を養った感もあります。またSOMETHING EXTRAのページの写真(2004年8月の表紙のひまわりのコメント)にもあったように何気ない夏のひとこまひとこまを感銘深く感じた夏でもありました。

 私の家には少しの庭があるのですが、手入れがされているようなされていないような、かなりごちゃごちゃとした感じの庭です。もともとは人の手で植物が植えられたにもかかわらず植物たちは自分で種を落とし、根や地下茎を伸ばし、さらに自分で枝を地面につけ取り木のようにそこから根を生やしたりしていつのまにかきれいな花を咲かせ、さまざまな植物たちが小さな庭の中で野生化し子孫を増やしているのを感心しながら眺めています。
 同時にさまざまな生物も息づいています。花に集まるチョウやハチ、木の葉の陰で休む虫や暑い中でも活動するアリたち、緑の葉を食べるいろいろな生き物や枯葉をもくもくと食べ土を肥やす生き物、そして不思議かつ感心なのは飛んでくることができる昆虫だけでなく、もとは植物も何も無くアスファルトで囲まれたこの場所にどこからやって来たのか、トカゲやカタツムリなども生息しているということです。
 このように小さな庭のなかに「混沌とした秩序」がうまれ、生態系が宿っていることに感動します。この「生態系が宿る」ということ、生き物がただそれぞれに生きているように見えるのではなく、いろいろな生命がお互いを生かしあいながら「生態系」として生きている、たくさんのものがひとつの生命として生きているという自然の神秘に心を打たれます。一輪の花が咲くために、雨、風、太陽、そしてどれだけ多くの植物、動物、昆虫、微生物が活躍していることでしょう。古典的な聖典のなかにも草花の間にいる天使が草花が育つのをいつも応援し見守っているという表現がでてくるものがありますが、まさにどんなちいさなものにも神秘的な力が感じられます。

 よく地球はひとつの生命体だと言われます。これは自然科学の知識としては当然なのでしょう。ちがうアプローチとして宇宙の意識というものにチューニングをした状態でそのようだということもできます。しかしそれを理解するために人間が生活のなかでそれがどういうことなのかを具体的に実感として感じることはなかなかできないかもしれません。海や山など自然にふれる機会のある私でもむしろそういった大自然は自然であればあるほど偉大で誇りたかく、人間の理解を寄せ付けがたいものにも思えます。しかし私が何気なく感じたごくごく小さな場所でとてもわかりやすいかたちでお互いを生かしあいながら生態系がひとつの生命体として存在することをしめしてくれたことにとても感動しました。

 SOMETHING EXTRAのページの写真のコメントで「緑の生命力に癒された」と書いていますが、緑のなかでリフレッシュ、という感じのものではなく、(実は少々夏バテ気味でありながら)自分の中心がとてもしっかりとして不思議なおだやかさがあるのを感じていました。生態系がもつ神秘的な営みが私の中の奥深くにある、すべての生命との繋がりに響いたように感じています。
(2004年9月)




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