■天使がいなくなった?

 あるとき天使がいなくなった瞬間を体験したことがあります。いえ、今でも天使は変わらす存在し、しかしかつてのような形では「いない」状態なのかもしれません。
 そのとき私はとても驚くと同時に、とても慌て、自分の感受性を疑い、寂しがったり悲しがったりしました。
 しかし天使はいなくなったわけではなかったのです。ずっとその状況を疑問に思いながらも誰にも言わなかったのですが、あるときに天使や妖精や至高の存在とよばれるものとメッセージをやりとりできるという方と話をする機会がありました。特に私自身がこの時感じた天使たちのことを話したわけではなかったのですが、その方は「人間や地球の進化とともに天使たちの立場が変わった」というようなことを言っていました。人間が何かに頼らず自分で「立って」歩く時を迎えている、といった内容でした。
 実際の話はもっと詳しく様々な内容があったのですが、その内容は状況が変化したことを感じていた私の思いを一つ一つ納得させてくれるものであり、また私が状況を理解している範囲のものと一つ一つ一致するものでした。
 そして変化したのはむしろ自分のほうであることにも気づきました。
 私はその2,3年前、本来なら喜ぶべき自分のある種の感受性というものに疎ましさや恐れを覚えていた時がありました。そしてそれからしばらく創作活動をあまりしなかった時期があり、そしてしばらくして天使たちはいわば作風という形でそんな私を創作につれもどしてくれたていたのです。
 かつて創作活動をしていた頃をようやく思い出した私でしたが、それが自分の脱皮や羽化のようなものであることなど思いもよらず、脆弱でいわば歩き始めの子供のような気持ちでした。そして自分とは縁がないどころかその存在について考えてみることもあまりなかった天使がそこに突然現れたことに驚くと同時にその天使たちをいろいろな意味で頼りにしていたのです。
 しかしいつの間にか自分は立ち上がってしまったことを知りました。目に見えない存在を語る方々は、サポートとかガイドといった言葉を使います。サポートとは助けてくれる、あるいは応援してくれる存在、つまり主役は自分であり、見え方の変わった天使たちはよちよち歩きの子供もしっかりと自分で立って歩くときが来たことを告げていました。先の天使のことを語ってくれた方が言うように天使たち自身が人間がしっかりと立てるように立場を変えたという話は私にはある意味そのとおりに感じられます。そして私自身には自分が忘れていた感受性や自分そのものを思い出した瞬間が同時に訪れ、それまでのような形ではいなくなった天使たち、しかしいつもそこにいてくれる天使たちのことを理解し、そしてまたあらためて感謝をしたのでした。

 先日ある美術館に天使の絵の企画展を見に行きました。その原画の筆致にはやはりその絵の作者が感じた何かが宿っているのが感じられ、私はとても長い時間、館員の方に閉館の声をかけられるまで展示室の空間を楽しみました。
 天使を頼りにしてみたり、いなくなってしまったと慌てたり、また天使たちを違った意味合いで捉えてみたり、あたりまえのようにそこにいる天使を感じてみたり、われながらそんな自分の感覚と気分を少々滑稽だと思ったりしながら、その美術館の帰り道、天使がどんなふうにいようとも、自分がどんな心持ちでいようとも、私は天使というものが好きなんだな、と感じました。
(2003年9月)




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